じょうてつのあゆみ 第11回

企業として

バス事業は積極的な合理化に務め、昭和49年4月24日に洞爺湖線のワンマン化を実施した。昭和51年3月27日には定山渓温泉の振興を目的として、定期観光バスの運行を開始する他、運行回数増や区間便の延長、さらには待合所、案内所の設置など利便性の向上にも務めた。札幌国際スキー場の開業にともない、昭和53年10月20日に札幌市内より札幌国際スキー場までの直行便を冬期間運行した。沿線に高等学校が2校(南陵高校=昭和55年4月1日・啓北商業高校=昭和55年8月14日)が開校されると同時に、学生輸送の専用便を運行した。さらに昭和57年5月1日には定山渓線が100%ワンマン化となり、昭和58年11月23日に、自動車事業部の自動車営業所、整備工場を南区川沿に新築し移転した。
貸切事業の中で各旅行斡旋業者との連繋を図り、団体客等の勧誘に務めていた旅行サービス課が、昭和54年7月21日に国内旅行業を登録し、独立した事業となった。合わせて航空各社との代理店契約を締結し航空券の販売を始め、国内旅行の斡旋、勧誘とともに、旅館宿泊券の販売、さらには各催物の主催にも力を入れた。
不動産事業は、デベロッパーとしての土地開発、分譲をはじめ、建売住宅、注文住宅、分譲マンション販売、そして仲介斡旋業にも進出し、総合住宅事業として積極的に営業展開を進めた。従来の沿線開発を進めるとともに、新たに「真栄団地」、「グリーンタウン西岡」(札幌市)、「旭台分譲地」(旭川市)の開発も手掛け、デベロッパーとしての知名度が浸透してきた。昭和50年5月には、東急グループ5社の共同開発による厚別の「上野幌東急ニュータウン」、同年8月には広島町(当時 現北広島市)の「広島ニュータウン」を販売し、好調な売れ行きを見せた。また、分譲マンション事業ではドエルシリーズとして豊平をスタートに、真駒内南町、月寒東、新札幌と次々に販売を続けた。建売住宅は、大規模団地によるスケールメリットや機能性重視の設計と良心的な施工が評価され、「じょうてつホーム」の名称で親しまれてきた。さらに、昭和54年9月に豊平区(当時 現清田区)の「里塚ニュータウン」、昭和58年12月に広島町(当時 現北広島市)大曲地区に「のぞみ野ニュータウン」の販売を開始した。